はじめに
「市販薬なら、病院でもらう薬とちがって安全だろう」——そう思っている方は多いかもしれません。けれど近年、ドラッグストアや薬局で買える咳止めや風邪薬を、定められた量をはるかに超えて一度に大量に飲んでしまう「オーバードーズ(OD)」が、特に10代〜20代の若い世代で問題になっています。
「つらいことを忘れたくて」「眠れない夜をやり過ごすために」「SNSで見かけてなんとなく試したら、やめられなくなった」。そんな声は、もはや特別な人だけのものではなくなってきています。もしあなたやご家族が、市販薬を手放せなくなっていることに気づいて不安を感じているとしても、それはあなただけが抱えている問題ではありません。精神科では、市販薬のことを話しても叱られることはありません。
市販薬の乱用・オーバードーズ(OD)とは
「市販薬」とは、処方箋がなくても薬局やドラッグストアで買える薬のことです。咳止めや風邪薬、解熱鎮痛薬など、多くの方が一度は手に取ったことのある身近な薬です。「オーバードーズ(OD)」とは、こうした薬を、説明書に書かれた用量を大きく超えて一度に飲むことを指します。
SNSでは、「OD」という言葉とともに、たくさんの錠剤を手のひらに載せた画像が日々投稿されています。「飲むと嫌なことを忘れられる」「やめたいのに毎日飲みたくなる」——そうした書き込みからは、心のつらさを抱えた人が市販薬に頼ってしまっている様子がうかがえます。
国内には6万を超える薬局があり、インターネットでも購入できる薬があります。この「手に入りやすさ」が問題を複雑にしてきたため、国は販売のルールを見直しました。2026年5月1日から、乱用のおそれがある成分を含む市販薬は「指定濫用防止医薬品」として、購入時に年齢や購入状況の確認を受け、原則として1人1包装までの販売となりました。18歳未満への大容量・複数個の販売は禁止されています(2026年10月時点)。ただし、販売のルールが変わっただけで問題が解決するわけではありません。大切なのは、市販薬に頼らざるを得ない背景にあるつらさに、適切な支援がつながることです。
若い世代・女性で増えている実態
市販薬の乱用が増えていることは、国の実態調査からも読み取れます。国立精神・神経医療研究センターが全国の精神科医療施設を対象に続けている調査(NMH調査)によれば、市販薬を主な薬物とする患者さんの割合は、2012年の2.7%から2020年には15.7%へと約6倍に増えました。近年では覚醒剤、睡眠薬・抗不安薬に次ぐ3番目に多いグループです。
年齢別では10代〜20代の若い世代で市販薬の割合が高く、とりわけ10代では過半数を占めると報告されています。女性の割合が高いことも特徴です。
注目したいのは、こうした方々の多くが「違法なものは使いたくない」という強い思いを持っている点です。覚醒剤などの違法薬物の使用経験が少ない一方で、心のつらさを抱え、薬物問題に関連した入院を経験している方も少なくないと指摘されています。「合法だから」「身近だから」という安心感が、かえって手を伸ばしやすくしている面があるのです。
咳止め・風邪薬に潜む依存と身体のリスク
では、どんな市販薬が乱用の対象になりやすいのでしょうか。国の調査によると、主に「鎮咳去痰薬(咳止め・痰切り)」「総合感冒薬(風邪薬)」「鎮静薬」「解熱鎮痛薬」の4種類が挙げられています。
こうした薬の中には、医療用の麻薬に近い作用を持つ成分や、眠気やぼんやり感を起こす成分、カフェインなどが含まれているものがあります。続けて大量に使ううちに依存が生じることがあり、急にやめると、吐き気・腹痛・頭痛・不眠・不安・震えなど、つらい離脱症状(薬が抜けるときの体の反応)が出ることがあります。さらに一度に大量に飲むと、呼吸が浅くなる(呼吸抑制)、意識がもうろうとする、けいれん、動悸、血圧の変動といった危険な状態を引き起こすおそれがあります。
ここで知っておいていただきたいのは、「この量までなら安全」という線引きはできないということです。体格や体調、そのときの状態によって、同じ量でも体への影響は大きく変わります。飲んだあとに眠り込んで吐いたものをのどに詰まらせる、酔ったような状態になって普段ならしない危険な行動をとってしまう——そうした二次的な事故も少なくありません。自傷行為の臨床をまとめた書籍でも、過量服薬に「何錠以下なら安全」という基準は存在しないと注意されています。
また、日本の市販薬は、海外に比べて一つの薬にいくつもの成分が配合されている傾向があります。そのため大量に飲んだとき「どの成分が体に害を及ぼしているのか」を見分けるのが難しく、それも市販薬の乱用問題を複雑にしている要因のひとつです。「市販薬だから軽い」とは決して言えないことが、おわかりいただけると思います。飲んだ直後に体に何が起こるのか、減らしたときにどんな離脱症状が出るのかについては、市販薬の飲み過ぎで体に起きることの記事で詳しく解説しています。
なお、リストカットなどの自傷行為をしていた方が過量服薬をするようになった場合、それは危険度が一段上がったサインと考えられています。「アピールだろう」と軽く見ずに、早めに医療につながることをおすすめします。自傷行為については「自分を傷つけてしまう」の理解と回復の記事でも詳しく解説しています。
なぜ「市販薬なら」と手が伸びてしまうのか
市販薬の乱用を理解するうえで大切なのが、「なぜそれを使ってしまうのか」という背景です。
市販薬のオーバードーズは「酔いたいから」というより、「目の前のつらさをなんとかやり過ごしたいから」起きていることが少なくありません。精神医学には「自己治療仮説」という考え方があります。人が薬物に頼ってしまうのは、必ずしも快楽を求めているからではなく、心の苦しさに自分なりに対処するため——いわば「自分で自分を手当てしようとして」薬を使っている、という見方です。
学校とアルバイトの両立に疲れてしまった、人間関係で傷ついた、眠れない夜が怖い——そんなとき、違法薬物には抵抗があっても、ドラッグストアで買える薬には手が伸びてしまう。「違法なものは使いたくない」という気持ちと「手に入りやすい」という現実が重なって、市販薬が選ばれやすくなっているのです。だからこそ、市販薬の問題は「意志が弱いから」「だらしないから」という話ではありません。その背景には、本人が抱えきれずにいるつらさがあることがほとんどです。この視点について詳しくは、自己治療としての依存の記事で取り上げています。
やめたいのにやめられないとき——「やめるか、やめないか」だけで考えない
「やめたいのに、やめられない」。この言葉を口にするのは、とても勇気のいることです。そして依存症の専門家たちは、この言葉を「意志の弱さの証拠」ではなく、回復に向かう大切な一歩として受け止めるべきだと指摘しています。
近年の依存症支援では、「ハームリダクション」という考え方が重視されるようになってきました。これは、「今すぐ完全にやめられるかどうか」だけを問うのではなく、まず使用によって生じる健康や生活への害(ハーム)を減らすことを優先するという考え方です。『ハームリダクションとは何か』という書籍では、完全にやめることを支援の入口条件にしてしまうと、いちばん助けが必要な人ほど支援につながれなくなる、という問題が繰り返し指摘されています。
この考え方に立つと、目標の立て方が変わります。「今日から一切やめる」と誓うことだけが正解ではなく、
- 命に関わる大量摂取だけはしない
- 一人きりの深夜に飲まないようにする
- 薬のことを正直に話せる相手(主治医など)を一人つくる
- つらさの元になっているストレスや不眠の治療を並行して進める
——こうした「これ以上、害を増やさない」ための小さな一歩も、立派な回復の始まりです。長年当事者を支援してきた団体では、「やめるか、やめないか」ではなく「これからどうしたいか」を一緒に考える方針に切り替えた、という経験が語られています。
もうひとつ、依存症の臨床でよく語られる言葉があります。「依存症とは、安心して人に依存できない病」という表現です。孤立した環境では薬物への依存が強まり、人とのつながりのある環境では弱まる——そのことを示した有名な動物実験もあります。逆にいえば、回復とは薬への依存を、信頼できる人や場所への「安心できる頼り先」に少しずつ置き換えていくプロセスです。「自立とは依存先を増やしていくこと」という言葉があるように、主治医、家族、学校の先生、友人など、細くてもよいのでつながりを複数持つことが、回復を支える土台になります。
家族ができること——責めるより「話せる関係」を守る
ご家族が本人の市販薬乱用に気づいたとき、驚きや心配から「なんてことをしているの」と問い詰めたくなるのは自然なことです。けれど、自傷や依存の臨床では、叱責や「二度としない」という約束の強要は、かえって本人を追い込み、隠れて使うことを促してしまうと指摘されています。
ご家族に意識していただきたいポイントを整理します。
- 責めない・説教しない。本人はすでに「このままではいけない」とわかっていることがほとんどです。責める言葉は、正直に話す道を閉ざしてしまいます。
- 打ち明けてくれたら、まずねぎらう。「よく話してくれたね」という一言が、次も相談できる関係を守ります。
- 「二度としない」と約束させない。守れなかったとき、本人のつらさと隠しごとが増えるだけになりがちです。
- 無視や見て見ぬふりもしない。「あなたの健康が心配だ」と、事実と心配を穏やかに伝えることが基本です。
- 一喜一憂しすぎない。回復の途中で再び使ってしまうことは珍しくありません。そのときに関係を切らないことが、長い目で見て最も大切です。
家族対応の目安は、「本人が安心して悪いニュースを話せる関係」を保てているかどうかです。「また飲んでしまった」と打ち明けられる相手がいる人のほうが、治療は続きやすくなります。
本人がまだ受診に前向きでない場合、ご家族だけでの相談に対応しているかどうかは医療機関によって異なります。受診を検討している医療機関に、事前に問い合わせて確認してみてください。家族の関わり方が変わることで、本人の状態が動き出すことは実際によくあります。本人が問題を認めないときの関わり方は、本人が依存を認めないときの記事も参考にしてください。
精神科で話しても、叱られることも通報されることもありません
「病院に行ったら怒られるのではないか」「やめると約束させられるのではないか」——そんな不安から受診をためらう方は少なくありません。もうひとつ、「市販薬のことを話したら、学校や職場、警察に伝えられるのではないか」と心配する声も聞かれます。
まず知っておいていただきたいのは、精神科の診察は行為を裁く場ではないということです。医師には守秘義務があり、診察で話した内容が本人の同意なく学校・職場・警察に伝わることはありません。市販薬をどのくらい使っていたか、減らしたいのに減らせないということ、使っているときに何が起きたか——そうしたことを、そのまま話していただいてかまいません。
診察でまず優先するのは、体の安全を守ることです。そのうえで、薬に頼らざるを得なかった背景——不眠、不安、気分の落ち込み、対人関係のつらさなど——を一緒に整理し、治療できるものは治療していきます。つらさの元が軽くなれば、薬に頼る必要そのものが減っていきます。
すぐに完全にやめる自信がなくても大丈夫です。「やめられないんです」と安心して言えること、それ自体が治療の出発点です。離脱症状がつらくて自分ではやめられない場合も、医師と相談しながら安全に減らしていく方法を考えられます。自己判断で急にやめて体調を崩すより、ずっと安全です。
なお、飲酒についても同じように「まず害を減らす」という考え方があります。関心のある方はお酒との付き合い方(ハームリダクション)の記事もご覧ください。
受診の目安
以下に当てはまるときは、早めの相談をおすすめします。
- 咳止めや風邪薬を、説明書の用量を超えて飲むことが続いている
- 「やめよう」と思ってもやめられない、飲む量や回数が増えている
- 薬が切れると、不安・落ち着かなさ・吐き気・震えなどの不調が出る
- つらい気持ちや眠れなさを紛らわすために薬に頼っている
- 大量に飲んだあと、息苦しさ・けいれん・意識のもうろうなどがあった(このような身体症状があるときは、ためらわず救急(119)を利用するか、すぐに医療機関を受診してください)
- リストカットなどの自傷に加えて、薬の過量服薬もするようになった
- 家族や周囲が「最近薬の減りが早い」と心配している
これらは目安であり、当てはまるからといって直ちに病気というわけではありません。最終的な判断は医師が行いますので、迷ったらまず主治医や当院にご相談ください(当院の診療対象は18歳以上です)。「やめる決心」が固まっていなくても、そのまま受診していただいてかまいません。
ご家族やパートナーから暴力や支配を受けている状況のなかで市販薬に頼るようになった場合も、背景にある不調(うつ・不安・不眠など)についてのご相談は当院で承っています。
まとめ
大切なのは、責めることでも、「今すぐ完全にやめる」ことを一人で誓うことでもなく、まず害を減らしながら、安心して頼れる人とのつながりを増やしていくことです。依存は、適切なサポートのもとで回復に向かっていける状態です。精神科で市販薬のことを話しても、叱られることも通報されることもありません。「もしかして」と感じているなら、それはもう回復への大切な一歩を踏み出しているということです。どうか一人で抱え込まず、ご自身の受診としてご相談ください。ご家族が心配されている場合は、ご本人の受診と同席という形になります(当院では、ご家族のみの相談はお受けしていません)。
市販薬の飲み過ぎで体に起きること 自己治療としての依存 本人が依存を認めないとき お酒との付き合い方(ハームリダクション)
参考にした書籍(要約・再構成。原文の転載ではありません):
- 精神科診療におけるたとえ話の効用(カレント・トピックス「市販薬乱用とセルフメディケーション」)
- ハームリダクションとは何か ―薬物問題に対する、あるひとつの社会的選択―(中外医学社)
- 薬物・アルコール依存症からの回復支援ワークブック(金剛出版)
- 自分を傷つけてしまう人のためのレスキューガイド(法研)
よくある質問
市販薬は処方薬より安全だから、たくさん飲んでも大丈夫ですか?
いいえ。市販薬でも、咳止めや風邪薬には依存性のある成分が含まれていることがあります。大量に飲むと呼吸が浅くなる、けいれん、意識がもうろうとするなどの危険があり、「この量までなら安全」という線引きもできません。気になるときは医師にご相談ください。
なぜ市販薬のオーバードーズ(OD)が若い世代で増えているのですか?
国の実態調査では、市販薬を主な薬物とする患者さんの割合が、近年大きく増えていると報告されています。背景には『違法な薬は使いたくない』という気持ちや、ドラッグストアで手に入りやすいこと、そして対人ストレスやつらい気持ちへの対処として使ってしまう『自己治療』があると考えられています。
やめたいのにやめられません。これは「依存」なのでしょうか?
「やめたいのにやめられない」「使う量や回数が増えている」と感じるなら、依存の状態に近づいているサインかもしれません。診断は医師が行いますが、一人で抱え込まずに相談することが回復への第一歩です。すぐに完全にやめられなくても、まずは「これ以上危険を増やさない」ことから一緒に考えていけます。
家族が市販薬を大量に飲んでいるかもしれません。どう声をかければよいですか?
責めたり叱ったり、「二度としない」と約束させたりするより、「何か困っていることはない?」とそっと気にかける言葉が支えになります。本人も「このままではいけない」とわかっていることが多いものです。なお当院では、ご家族のみの相談はお受けしていません。ご本人が受診され、同席に同意されている場合には、ご家族に同席していただけます。ご本人が受診できない場合は、お住まいの地域の公的相談先か、受診を予定している医療機関にお問い合わせください。なお、ご家族やパートナーから暴力や支配を受けている状況のなかで薬に頼るようになった方は、背景にある不調についてのご相談を当院で承っています。
すぐにやめる自信がなくても、受診してよいのでしょうか?
はい。受診は「やめると誓約する場所」ではありません。まずは体の安全を守り、薬に頼らざるを得なかったつらさを一緒に整理していくところから始めます。「やめられないんです」と正直に話せること自体が、回復に向かう大切な一歩です。
市販薬のことを精神科で話したら、叱られたり通報されたりしませんか?
精神科の診察は、行為を裁いたり叱ったりする場ではありません。市販薬をどのくらい使っていたか、減らしたいのに減らせないことなど、そのまま話していただいてかまいません。診察の内容がご本人の同意なく学校や職場、警察に伝わることもありません。安心して話せることが、体を守るための出発点です。